胎児治療学会の生い立ち

松波総合病院 産婦人科
川鰭市郎

 胎児治療はわが国では極めて限られた人たちの間で語られ、行われてきた治療法です。九州大学中野仁雄教授が国際学会”The Fetus as a Patient”を2004年に福岡で開催することが決定しました。この開催にあわせて胎児治療についての宣言をしてはどうかという機運が高まってきました。

 ちょうど日本産科婦人科学会が開催されていた、福岡サンパレスのロビー、もう少し正確に言うと、トイレの前で千葉喜英先生から私に声がかかりました。中野先生のThe Fetus as a Patientの前に胎児治療研究会を立ち上げよう。初代会長は中野先生にお願いする、ついては事務方取り仕切りやってくれ。断ることなど許されるはずもありません。中野先生は会場として九州大学医学部コラボステーションを用意して下さいました。研究会開催の告知も兼ねて、とりあえず幹事を選出しようということになりました。千葉、中野両先生、さらに名取道也先生にも相談しながら幹事就任依頼のお手紙を送りつける日々が続きました。

 手元の資料を見ると、第1回幹事会に出席者は、川滝元良先生、左合治彦先生、佐藤昌司先生、田口智章先生、種村光代先生、千葉喜英先生、中野仁雄先生、名取道也先生、前野泰樹先生、村越毅先生、室月淳先生、馬場一憲先生、そして事務局として川鰭市郎の13名でした。お名前を見て分かるように、産科だけではなく、小児科や小児外科の先生方も幹事を快く引き受けてくださいました。

 ところでどれくらいの参加者が来てくれるのか、まさに雲を掴むような話でしたが、参加費2000円を払って参加してくださったのはなんと112名。予想をはるかに超える参加者を集めることができました。参加してくださった皆さんから名刺をいただいて、メールアドレスを集めたのですが、いわゆるメーリングリストの作り方を知らなかったので、一斉送信することしかできませんでした。若い先生も多かったので、異動も少なくありません。2−3年もすると機能しなくなってしまいました。

 翌年The Fetus as a Patientの会場で第2回の幹事会を開催し、胎児治療に関する声明文を採択することになります。これは胎児治療学会ホームページにも掲載されていますが、会場でニューヨークのコーネル大学Frank Chervenak教授と二人で草案を書き上げたことを思い出します。

 第2回の研究会は大阪で千葉喜英先生により開催されましたが、ここで重要なことが審議されました。胎児治療に対する関心は明らかにたかまってきている。研究会という名称はインパクトが弱いのではないか。学会という名称に変更してはどうか。私たちの思いは同じでした。こうして東京で名取道也先生が開催された第3回から、日本胎児治療学会の名称が正式に使われるようになりました。

 当時は胎児シャント術やF L Pなどが競うように新聞やテレビなどで取り上げられてきていました。こうした取材に対して、学会としてコメントすることにより、存在感を増していったのです。やがて、左合治彦先生を主任とする厚生労働科学研究を介して、いくつかの胎児治療が健康保険の適応になることになります。

 胎児治療学会は会員数を競うことが目標ではなく、真剣に議論を交わす場所です。これは今も昔も変わりません。ここでは昔の話をしましたが、今日も学会は運営されています。明日も、明後日も思う存分議論を続けていってほしいです。



胎児治療の未来にむけて 〜日本胎児治療学会の事務局から〜

岐阜県総合医療センター 産科・胎児診療科
高橋雄一郎

 自分が前任者のメンターである川鰭市郎先生から胎児治療学会の事務局を引き受けたのは2018年12月でした。当初は中身もよくわからず、静かにはじまった業務でした。まずはメーリングリストを調整し、学会運営業務に携わってくださっているアカデミックスクエアさんと連絡をとりました。長良医療センターの近くにある郵便局に足を運び、支払いをオンラインで使えるようにしました。最近では、監査制度を導入、ちょっとずつですが学会
事務局の体裁を整えつつあるのが現状です。個人的にはなかなか日常業務のこともあり時間を避けないことが悩みで皆様にご迷惑をおかけしながら「健康を維持する植物」のごとく継続しています。

 どの時代も学会改革がさけばれ、「あり方委員会」というもののニーズがあります。本学会もいま、学会運営がどういう方向に進むべきなのか、現場やリーダーの先生方の中にも常に葛藤がおありです。それはとても健全なことだと思っています。この2−3年、症例登録制度委員会(岩垣委員長)、ホームページ委員会(日高委員長)の立ち上げを行い改革を行っています。世代交代の一つの時代の変革期にあることは間違い無く、今後の10年、日本の胎児治療をどのようにもっていくのか、いまその一つのターニングポイントにあると思います。

 思い起こすと自分と本学会の関わりは、2003年、第一回の九州大学の中野先生の会に「重症IUGRにおける人工羊水注入療法は胎児循環を改善する」という演題を発表させていただいたことから始まりました。当時は知る由もありませんが、いまはJOGRなどにも投稿させていただき、ISUOGでも発表する機会をえました。まだエビデンスの確立には至っていませんが、チームでいくつかの英文投稿をしたり、永井先生には傍証としてのAdverse events(有害事象)をEuropean journal に発表していただくなど、その後も地道に研究を重ねています。

 また胎児治療に関わる自分の医師人生でおおきかったのは左合先生の厚労省の研究班の末席に参加させていただいたことでした。当時は実際に東京に出張し、みなさまと夜遅くまで最先端の議論をさせていただきながら、TTTS,シャント術などの胎児治療の根幹をなす部分の臨床研究のあり方も学ぶことができました。これらの会議からは日本の今の国策、保険収載にもつながる多くの仕事が世に送り出されています。自分も下請けとして報告書の原案を書いたこともあります。とくに自分は川鰭先生の後を継いで、シャント術方面の担当をさせていただくことが多かったですので、チューブを開発いただいた八光の方々の並々ならぬ尽力による市販後調査の裏側を学ばせていただきました。シャント保険収載の前後でストレスで体調崩され入院もされた社員の方もおられたぐらいです。いま投稿中ですが、295例という世界で一番多いシャント症例の前方視登録が達成できたのもこのようなメーカーの強い意志に支えられ、そこに本学会の裏付けが存在したからだと思っています。世界でも類を見ない本登録制度は本学会が守っていくべき先端医療の導入の成功例なのです。きっと将来若手により、様々なclinical questionの解析にこのデータベースが役に立つことと期待しています。

 さて今議論されているのは「少ない人数の専門家の集まり」としての学術集会のあり方です。専門医単位もなく、この学会に参加する意義はなんなのか、という疑問がよく呈されます。自分としては「胎児治療に関わる、すべての医療関係の方々が熱く語れる場」をいかに維持していくか、という点が一番興味のあるところです。本邦の研究などは、それぞれのグループで執り行っていくことでしょう。しかし本学会は、小さいが故に、産科、新生児、小児外科、麻酔など多部門がフランクにかかわっている特徴を活かしながら熱い議論ができるのです。あるようでない、ユニークな学会かもしれません。その“議論”そのものが財産で、そこに至るまでの研究の“種”に気付けるような、そんな機会になることでしょう。また、若い医師にとってはこの領域を専門的に研究していくきっかけになると思います。

 胎児治療は、いままで諦められていた胎内の赤ちゃんに光をあて、ひとりの患者さんとして扱う医療です。戦火がやまぬ、この不安な世界情勢では死者の数が毎日何十人、合計何千人とSNSを飛び交い、一般の方は数字に麻痺していることでしょう。そんな世界であるからこそ、1人の胎児の生命を真剣にまもる医療者、それを支える集団があってもよいのではないかと思います。ぜひ、多くの若者にこの崇高な医療のバトンを受け継いでいただきたいと思う年の瀬です。

2023年師走